今月の話題〜5月〜



 4月22日に東京で行なわれた日本東洋医学会による学術講演会より選らんでみました。 この講演会は東洋医学の専門医を対象にしたものです。



1,腹部愁訴の漢方治療:(福島県立医科大学会津医療センター(東洋医学)、三潴忠道) 東洋医学では、陰陽、虚実、表裏、熱感という八綱が疾患を考える場合の基本だが、この中 では陰陽が最も重要である。傷寒論には六病位の大綱とされる条文がある太陽病、小陰病以 外は腹部の症候や消化器症状あるいは病態をさしている。陽明病、太陰病、厥陰病において は下部消化器症状が挙げられている。腹満や腹痛、便通異常、下痢といった下部消化器症状 は一般に裏に属する。陽明病の桂枝加芍薬湯を中心に展開をみてみる。臍を中心にしてそれよ り上を主に対応とする大柴胡湯、瀉心湯類、人参湯類、中央を主とした桂枝加芍薬湯、附子粳 米湯、四逆湯などがあり、下腹部を主とする小建中湯、当帰建中湯、通脈四逆湯などがある。 寒、熱、虚、実やお血などを考えて判断し処方を決める。


2,難治例を考える:(松田医院、松田邦夫)漢方の治療で、治療がうまくいかない症例があり、 悩むことがある。治療がうまく行かないときは、原点に帰って虚実判断の適否を再検討すること が大切である。治療がうまく行かないときには、気、血、水説の考え方から見直すことも大切で ある。江戸時代に活躍した和田東郭は難病の治療に駆お血剤を与えて、「固着した病変を浮き立 たせておいてから薬方を用いる」と述べている。難治例では、これも、一つの行き方である。


3,江戸時代の医学教育:(二松学舎大学文学部、町 泉寿郎)大和時代の701年に大宝律令が制 定されて日本に国家としての制度が一応出来て、医療制度も中国に見習った形で出来ていたが、そ れは支配階級のもので、しかも、制度としてあったのは平安時代までである。その後地方と武士階 級の力が発展し律令制度で存在した教育制度も体系が無くなり、地方の力が強くなり、藩校や私的 な塾が作られた。田代三喜は中医学を日本にもたらしたが、彼の医学は、まだ秘伝性のある教育、 医学の伝承であった。三喜の弟子の曲直瀬道三になり、秀吉の朝鮮戦争で朝鮮の活字印刷技術が伝 わって医書出版がなされて、医学が秘伝ではなく、広く医学の教育がなされるようになった。江戸 時代は政治は江戸だが、学問、医学は特に京都で発展した。1800年代になり幕府直轄の医学学 問所が出来てきた。西洋医学が入ってきて、この学問所にも取り入れられて、西洋医学中心の明治 の文明開化に進んでいった。


4,漢方診療の実際:(北里大学東洋医学総合研究所、花輪寿彦)症例を中心に、最近漢方治療で症 状治療、病名治療が多い感じがあるが、漢方の診断方法により、患者の病態を漢方医学の診断を行な い的確な方剤を用いることが大切であることを強調していた。


筆者一言
今回は、日本東洋医学会の専門医を対象にした講演会でありましたが、漢方の基本が臨床におい て重要とのことであった。今回の講師の先生は、いわゆる日本漢方の先生方だったので、分かり やすい講演内容でした。もう少し、陰陽虚実、表裏熱感、などについて臨床の場での考え方を話 して欲しかったと思いました。日本漢方が世界の中で生き延び、発展するために日本漢方の考え 方、診断、治療について統一した「これが日本漢方」というものが欲しいと思います。




一口メモ

北海道電力の国内で唯一稼働していた原発が定期検査に入り、日本の商業用原発50基がすべて停止となりました。 全原発停止は1970年以来42年ぶり…夏を「原発ゼロ」の状態で迎えるなんて大丈夫なんでしょうか。

生活で電気は思っている以上に色々な所で使っていますし、買い物するお店や電車、私たちが買う商品を作る工場…

節電心掛ければなんとかなるほどの電力不足で済むといいですが。



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